頑張る先輩方 岡島 寛
焼け付く様な日差しに照らされる日々の中で、皆様はいかがお過ごしでしょうか、私が学生時代の頃は夏の日差しの下でも、どうにか運動ができていたはずが、近年では30分も動けば休憩をはさみたくなるほど、体力の消耗を感じます。
大泉高校卒業から数えればすでに二十余年の歳月が経っています。日々の生活を必死で走り続けてきて、ふと気づけばもう四十代になってしまいました。そしてそのことを意識させる機会となったのが今回の大泉高校同窓会報原稿依頼でした。学生時代は文学や執筆が得意ではなく、3年生の課題研究で研究テーマをまとめたぐらいでした。
私は高校卒業後、農林大に進学その後、就農しました。今では20aのハウスでイチゴを栽培しています。その中でいつも思っていることがあります。それは「己の手で糧を得る」。企業人であるか、公務員であるか、自営やバイトであるかは関係ない。職に貴賤無し、自分の人生のために行動することが一番重要だと私は思っています。
昨今の混迷なる社会の現状からすれば、それを維持することも、また困難であり、どう行動すればよいのか正解と呼べる選択肢も分かりません。ただ、一つの目安になる要素があるとすれば「危険への臭覚」が重要な気がします。災害や異常事態の状況で行動を焦ったり、これくらい大丈夫であろうと、過小評価したり、私はそういった行動をじっくり考える事から始めています。平常時ならともかく、非常時においては状況がすぐに治まるといった事は少なく、急いだあげくの行動が二次災害に繋がる事例が過去にも起きています。なればこそ日頃から行動を起こす際には「確認する」ことが重要です。まずは表面的な異常の有無を目で確認、次に内部に異常が無いか、目視、聴覚で異音の有無を確認。そして、それでも不安材料があるのであれば、別の選択肢を再確認。ここまでやってようやく半分です。
このような状況において選ぶべきではない選択肢が「これくれいなら大丈夫」です。これまでの歴史の中で発生した事故や事件はこの発想が要因になったケースが多くあります。問題無いという自分以外の都合を前提の範疇に含まれない考え方からなのです。例えば一日の日の高さが時間ごとに変化し続けます。朝と同じ考えではいきません。日の高さによってその都度、考えていかなければならないのです。
普通に生きていても面倒なことは度々ありますが、さらに世の中が混沌となればより一層面倒なことは多くなります。辛い世の中だからといって楽しいことをするな、というわけではありません。こういった時こそ、むしろ人生を楽しむためにも日々の糧を得てほしいです。